F1の歴史 60年代 ホンダ

Honda RA271

1960年代初頭、2輪車メーカーとして軌道に乗ったHondaが4輪車進出とF1参戦を目指した当初、その立場はエンジンの供給者としてだった。実際に供給先としてチーム・ロータスとは契約締結寸前まで話は進んでおり、「ロータス・ホンダ」で64年のF1グランプリを戦う予定だった。しかし本契約&エンジン納入直前の64年2月になってキャンセルの連絡が入ったことで状況は一変。普通ならその時点でお蔵入りとなってもおかしくないケースだが、「HondaはHonda自身の道を歩む」とオリジナルシャシーを作り上げ、エンジンサプライヤー兼コンストラクターとして自ら参戦することを決意した。
そうして、エンジン評価用のテストベッドとして製作された「零号機」RA270を参考に、叩き台として次期テスト車両の予定だった「RA271」を、急きょ実戦用シャシーとして設計することとなった。なお横置きレイアウトを採用するV型12気筒エンジンということ以外にRA270との共通性は皆無で、あくまでブランニューのオリジナルシャシーとして登場した。
やや左にオフセットしたステアリング(外径270φの革巻き)。中央には「H」マークが配された。計器類はバルクヘッド上部のクロスメンバーの軽量化用肉抜き穴を流用して取り付けられた。
やや左にオフセットしたステアリング(外径270φの革巻き)。中央には「H」マークが配された。計器類はバルクヘッド上部のクロスメンバーの軽量化用肉抜き穴を流用して取り付けられた。
RA271が斬新だったのは設計者の佐野彰一がこの時代にアルミモノコックの採用に踏み切ったことと、1.5Lながら12気筒レイアウトを選んでいたことだった。特にV型12気筒エンジンは、当時のF1では検討されても製作されたことはないという希少なレイアウトだった。欧米でも1.5リットルにV12は多すぎると考えられていた。ホンダでも、企画時に1.5Lで12気筒は無謀だと反対する開発陣に対して「125cc(×12)はモーターサイクルで手慣れた排気量だ」と説明したと伝えられる。自製シャシーでF1に臨むことになったホンダは、2輪用レーシングエンジンの技術をつぎ込んだ60度V12エンジンを横置き搭載するために、モノコック+スペースフレームという独特の構成をRA271に採用した。後年のロータス49+フォードDFVによって完成される、エンジンをストレスメンバー的に使う手法の先がけとも言えるアイデアだった。フロント/リヤのサスペンションにもオリジナルな手法が取り入れられており、当時のHondaの挑戦的な姿勢が窺える。完成したRA271E型エンジンは220hp+α、他チームが使うクライマックスなどのエンジンに対し10~20hp程度のアドバンテージがあった。また燃料噴射装置もイタリアGPから導入されている。
1.5LのV12エンジンを横置きに搭載したRA271は独創的と評価されたが、モーターサイクルメーカーにとれば特に奇をてらった手法でもなく、センターテイクオフ方式の採用も、2輪車メーカーならではの発想と言えた。