京都の秋

どうもすいません、京都とは直接関係のないものばかりを載せてしまい。

 

たしか「ホンマでっかTV」だったと思うのですが、気温が30度を超えると人間というのは、ガクっと思考能力が落ちるとかなんとか言っていたように記憶しています。 「理性」がややおろそかになる代わりに「肉欲」が頭をもたげてくるような、そういう浮ついたところに「夏」の良さがあるわけですが、秋が深まり、風がピリっと冷えてくると、なんだか寂しさが募ってきて、物思いに耽ってみたりするわけです。

 

「憂鬱」というと、多くの人はそれをネガティブなことだと考えていると思いますが、ちょっと深みのある芸術というのは「憂鬱」なしにはありえません。 まあ、けっこうノリのいいJazzがあるように、すべての芸術が暗いというわけではないのですが、明るいばかりでは深みはでないわけで、「憂鬱」に浸るというのは、或る種の快楽なんですよ。

 

わたしも以前は、年に2,3回は京都に行っていたのですが、やっぱり秋が最高ですよね。もちろん、純粋に日本的なもので自らを盛り上げるのも悪くありませんが、なにかしらしんみりできるものがあれば、なんでもいいと思います。

 

ちなみに、しばらく京都に泊まると、どうも「東京の日常」とかけ離れすぎてしまうのか、帰りの新幹線では「Nirvana」をiPodでガンガンかけたこともありました。。。

 

 


東福寺(とうふくじ)は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は、九条道家、開山(初代住職)は円爾である。京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭(山内寺院)を有する大寺院である。

 

秋の京都といえば、まず間違いなく「東福寺」ですよね!

 

動画をご覧になればお分かりのように、素晴らしい色彩の世界です。あとはみなさんがそれを実際にその場で体験なさるだけ。

 

このブログでは一足先に、疲れた足と空腹を癒やすためのカフェをご紹介します。(やっぱり純粋に日本的なものだけを味わうのは、現代社会ではさすがに京都といえど、ほぼ不可能ですね)。以前はなんだか寂しいような気もしたのですが、まあ文化の多様性は歓迎すべきことですよね。

 


カフェ アリエッティ (Cafe ARRIETTY)

 

焼き立てのパンケーキで軽めのランチ

軽めのランチには最適です。オーダーしてから焼かれますので、少しだけ時間がかかります。ですが、焼きたてが味わえます。アイスクリームをトッピングすると絶妙のパンケーキに仕上がります!バターとシロップはお好みで使えますよ。

東福寺から北へ歩いて20数分、智積院の北側に位置しています。京都女子大学や京都女子高等学校なども近く、女子学生に非常に人気のお店です。パンケーキは上の写真のようなシンプルなものから季節限定メニューなど様々です。

 



北野天満宮

 

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「星梅鉢紋」。
通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。

 

 

口コミ情報

「学問の神様で有名な観光スポットです。
神殿がとても風格があり素晴らしいです。
裏山の散策も良い散歩になりました。」

 

「駐車場が1時間無料なので、車でも行きやすい所です。境内まで行く間に体で悪いところが撫でると良くなるという牛の石像が幾つもありました。」

 


ベストシーズンはいつ?

まだ少し気温が高めの11月中旬は、紅葉狩りにぴったりです。色づきもよく空気も澄んでいるので、山の周辺までもきれいに見えます。デートや家族旅行で訪れるにもこの時期を選ぶと良いでしょう。それでも肌寒い時期になってくるので、夕方以降に紅葉を見る場合には、少し厚着をしていったほうが良さそうです。

紅葉シーズンになると京都の社寺ではいたるところで夜間拝観が行われています。普段は閉まってしまう時間帯ですが、この時ばかりは期間限定で延長しているのです。ライトアップされた紅葉と市街地の夜景を一緒に眺めるのもおすすめです。

特に紅葉が多く見られるのは山の上だったりするので、気温よりも肌寒い場合も多くなっています。そのため防寒対策はしっかりとしていきましょう。専門的にリアルタイムで紅葉の状況を知りたい場合は日本気象協会のサイトをチェックするといいですよ。紅葉情報は10月になれば見ることができます。

 

 

 

文豪と京都

『谷崎潤一郎』~好んだ食とゆかりの地を歩く

 

 

「京都日記」 芥川龍之介

提灯(ちやうちん)の明りで見ると、車の前には竹藪があつた。それが暗の中に万竿(ばんかん)の青(せい)をつらねて、重なり合つた葉が寒さうに濡(ぬ)れて光つてゐる。自分は大へんな所へ来たと思つたから、こんな田舎(ゐなか)ぢやないよ、横町(よこちやう)を二つばかり曲ると、四条(しでう)の大橋(おほはし)へ出る所なんだと説明した。すると車夫が呆(あき)れた顔をして、ここも四条の近所どすがなと云つた。そこでへええ、さうかね、ぢやもう少し賑(にぎや)かな方はうへ行つて見てくれ、さうしたら分るだらうと、まあ一時を糊塗(こと)して置いた。所がその儘、車が動き出して、とつつきの横丁を左へ曲つたと思ふと、突然歌舞練場(かぶれんぢやう)の前へ出てしまったから奇体(きたい)である。それも丁度ちやうど都踊(みやこをどり)の時分だつたから、両側には祗園団子(ぎをんだんご)の赤い提灯が、行儀(ぎやうぎ)よく火を入れて並んでゐる。自分は始めてさつきの竹藪が、建仁寺(けんにんじ)だつたのに気がついた。が、あの暗を払つてゐる竹藪と、この陽気な色町(いろまち)とが、向ひ合つてゐると云ふ事は、どう考へても、嘘のやうな気がした。その後のち、宿へは無事に辿たどりついたが、当時の狐につままれたやうな心もちは、今日けふでもはつきり覚えてゐる。……
 それ以来自分が気をつけて見ると、京都界隈(かいわい)にはどこへ行つても竹藪がある。どんな賑にぎやかな町中(まちなか)でも、こればかりは決して油断が出来ない。一つ家並(やなみ)を外はづれたと思ふと、すぐ竹藪が出現する。と思ふと、忽ち又町になる。殊に今云つた建仁寺の竹藪の如きは、その後のちも祗園を通りぬける度に、必ず棒喝(ぼうかつ)の如く自分の眼前へとび出して来たものである。……
 が、慣れて見ると、不思議に京都の竹は、少しも剛健な気がしない。如何(いか)にも町慣れた、やさしい竹だと云ふ気がする。根が吸ひ上げる水も、白粉おしろいのにほひがしてゐさうだと云ふ気がする。もう一つ形容すると、始めから琳派(りんは)の画工の筆に上のぼる為に、生えて来た竹だと云ふ気がする。これなら町中へ生えてゐても、勿論少しも差支へはない。何なら祗園のまん中にでも、光悦(くわうえつ)の蒔絵(まきゑ)にあるやうな太いやつが二三本、玉立(ぎよくりつ)してゐてくれたら、猶更(なほさら)以て結構だと思ふ。
   裸根(はだかね)も春雨竹(はるさめだけ)の青さかな
 大阪へ行つて、龍村(たつむら)さんに何か書けと云はれた時、自分は京都の竹を思ひ出して、こんな句を書いた。それ程竹の多い京都の竹は、京都らしく出来上つてゐるのである。

 

 

「虞美人草」 夏目漱石

「夢窓国師とどっちがいい」
「夢窓国師よりこっちの方がえらいようだ」
 船頭は至極(しごく)冷淡である。松を抱く巌(いわ)の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬように、櫂を動かし来り、棹(さお)を操(あやつ)り去る。通る瀬はさまざまに廻(めぐ)る。廻るごとに新たなる山は当面に躍(おど)り出す。石山、松山、雑木山(ぞうきやま)と数うる遑(いとま)を行客(こうかく)に許さざる疾(とき)流れは、船を駆(か)ってまた奔湍(ほんたん)に躍り込む。
 大きな丸い岩である。苔(こけ)を畳む煩(わずら)わしさを避けて、紫(むらさき)の裸身(はだかみ)に、撃(う)ちつけて散る水沫(しぶき)を、春寒く腰から浴びて、緑り崩(くず)るる真中に、舟こそ来れと待つ。舟は矢も楯も物かは。一図(いちず)にこの大岩を目懸けて突きかかる。渦捲(うずま)いて去る水の、岩に裂かれたる向うは見えず。削(けず)られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乗る人のこなたよりは不可思議の波の行末(ゆくえ)である。岩に突き当って砕けるか、捲(ま)き込まれて、見えぬ彼方(かなた)にどっと落ちて行くか、――舟はただまともに進む。
「当るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を圧して突っ立った。船頭は「うん」と舳に気合を入れた。舟は砕けるほどの勢いに、波を呑(の)む岩の太腹に潜もぐり込む。横たえた竿は取り直されて、肩より高く両の手が揚(あ)がると共に舟はぐうと廻った。この獣奴(けだもの)めと突き離す竿の先から、岩の裾(すそ)を尺も余さず斜めに滑って、舟は向うへ落ち出した。
「どうしても夢窓国師より上等だ」と宗近君は落ちながら云う。

 

 

「高瀬舟」 森鴎外

 高瀬舟たかせぶねは京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島ゑんたうを申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いとまごひをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。
 當時遠島を申し渡された罪人は、勿論重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盜をするために、人を殺し火を放つたと云ふやうな、獰惡だうあくな人物が多數を占めてゐたわけではない。高瀬舟に乘る罪人の過半は、所謂心得違のために、想はぬ科とがを犯した人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時相對死と云つた情死を謀つて、相手の女を殺して、自分だけ活き殘つた男と云ふやうな類である。
 さう云ふ罪人を載せて、入相いりあひの鐘の鳴る頃に漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を兩岸に見つつ、東へ走つて、加茂川を横ぎつて下るのであつた。此舟の中で、罪人と其親類の者とは夜どほし身の上を語り合ふ。いつもいつも悔やんでも還らぬ繰言である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族けんぞくの悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮町奉行所の白洲しらすで、表向の口供を聞いたり、役所の机の上で、口書くちがきを讀んだりする役人の夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。
 同心を勤める人にも、種々の性質があるから、此時只うるさいと思つて、耳を掩ひたく思ふ冷淡な同心があるかと思へば、又しみじみと人の哀を身に引き受けて、役柄ゆゑ氣色には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める同心もあつた。場合によつて非常に悲慘な境遇に陷つた罪人と其親類とを、特に心弱い、涙脆い同心が宰領して行くことになると、其同心は不覺の涙を禁じ得ぬのであつた。
 そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で、不快な職務として嫌はれてゐた。

 

 

 

大人のグルメ

「食欲の秋」ということで、紅葉狩りでたくさん歩いたあとは、やっぱり美味しいものをたっぷり頂きたいものです。

 

逸品 はし長 (ハシナガ)

『ミシュランガイド京都・大阪2016』に掲載いただきました!皆様のご愛顧の賜物です。今後とも精進してまいります。■四条駅・烏丸駅より徒歩5分■
京都を彩る食材を豊富にご用意してお待ちしております。コース4,000円~、飲み放題付コースもご用意しております。■【四条烏丸ほど近い隠れ家割烹。京の名店で磨いた四季の味を、昼2200円~、夜4000円~のお値打ち価格で。】市中の隠れ家割烹で季節を繊細に表現するコースを堪能下さい。[鳥居本]をはじめ名店で腕を磨いた主人による四季折々の和食コースが気軽に堪能できます。おすすめは、夜のおまかせ。牛タン味噌漬焼きや穴子の骨せんべいといった3種を一皿ずつ出す先付に始まり、後に続く料理への期待を膨らませる。澄んだダシの中で花びらのように広がるアブラメの吸物、新緑を思わせるワサビ菜餡をかけたそら豆饅頭など、どれも自然を連想する美しさ。大原の無農薬野菜や瀬戸内の鮮魚といった素材へのこだわりはもちろん、旬ならではの美味しさを引き出す努力を惜しまない。