念のため言っておきますが、うちのカミさんがこっそり企業か何かのシステムに忍び込んで、情報を盗んだり壊したりするという話ではないです。あいにくの雨なので、今日はママといっしょに「Arduino」で遊びました。
メディアの伝え方などを見ていても、いまだに「ハッキング」には犯罪行為という連想がつきまとっているようなので、少しそのへんを解説いたします。
「Hacking -- The Art of Exploitation」によると、
*なぜかネットで検索したらPDFがありました。わたしもさんざん人様の知的財産をネタにブログを書かせて頂いていますが、正直そんな権利を主張しててもどうにもなりませんね、これからの時代…
The essence of hacking is finding unintended or overlooked uses for the
laws and properties of a given situation and then applying them in new and
inventive ways to solve a problem—whatever it may be.
「ハッキングの本質というのは、与えられた状況の法則や性質に、意図していない、あるいは見落とされている利用方法を見つけ、それを新しい創造的な問題解決(それがどんなものであれ)に適応することにある。」
妻が「Arduino」を始めてから、2週間ほどは、まあとにかく本に書かれたサンプルコードをていねいに正確に打つことから慣れさせて、LEDを点滅させたり、その強さを変化させるための「For loop」に手こずったりしていました。
そしてようやく、光センサーとLEDを組み合わせて、光が暗くなるとライトがつく、というところまで来ました。その日は昼間にテストしたので、サンプルコードのままだとセンサーを覆い隠してもまだ十分に暗くならなくて、うまく作動しませんでしたが、条件分岐の数値を少し高めにして(つまり、ちょっとだけ暗い状態で反応するように)、うまく動くようになりました。
妻は以前は、ビデオの予約すらイヤがるほど、機械音痴だったのですが、そんな彼女にもこの瞬間なにかが目覚めたようでした。
「スゴくたのしい!」と叫んでいました。
最初はどうしてもとっつきにくいところがあるのですが、電子工作の面白さは「機械になにかを感じさせることができる」ところにあります。
今回の例でも、彼女も分かったようにどれくらい感じさせるのかを決める(プログラムする)ことが容易にできるのです。
コンピュータと対話するには、たいていはなにかしらの「アプリ」を介して行うか、上級者になると「ターミナル(端末)」などから命令を送って進めていくことになりますよね。
でも、「電子工作」はうまくやると、そういうことが不要になるのです。
わたし自身、プログラミングを始めたのは将来への不安からでした。でも、こういう分野を発展させている人々はたいてい親もなにかしらの研究者だったりするので、だれにとっても入りやすい世界だとは言えません。
たとえば、アインシュタインもお父さん(たしかおじいさん)もエンジニアだったそうです。
*1880年に、ミュンヘンに引っ越し、父と叔父ヤコブが直流電流に基づいて電気機器を製造する会社「Elektrotechnische Fabrik J. Einstein & Cie」を設立。(Wikipediaより、「叔父さん」の間違いでした)
また、初期のUnixやC言語の開発に携わり、現在はグーグルでGo言語を開発しているケン・トンプソンは、子供の頃から「論理に魅了されていた」と語っています。
*15人の有名プログラマのインタビューをまとめた Coders at Work で、インタビュアーの Peter Seibel の「どうやってプログラムを学んだのですか?」という質問に対し、「私はいつも論理に魅了されていて、小学生のころ既に二進法などの算数問題を解いていた。それは単に私が魅了されていたからだ」と答えている[2]。(Wikipediaより)
なかなかこういう風には育てられませんが、非常に安価になっているオープンソース・ハードウェアを活用して、子供の頃からプログラムしたり、組み立てて動かす楽しさを味わわせてあげれば、子供の能力はどんどん伸びていくと信じています。(うちの子はまだ2歳半なので実践できてませんが)
アインシュタイン
天才とは努力する
凡才のことである。
ケン・トンプソン(Ken Thompson)――
AT&Tベル研究所技術者
ケン・トンプソンといえば、UNIXとC言語を作った人物として有名である。写真で見る限り、長髪で頭の真ん中が薄くて、ひげを生やし、眼鏡をかけた風采の上がらないおじさんである。本当はどのような人物なのだろうか。
ケン・トンプソンの父親は海軍の軍人であり、一家は勤務の都合もあって、各地を転々とした。ケン・トンプソンが12歳のころ、一家はテキサス州の南部に住んでいた。好奇心の強い少年であり、電気屋の店先にたむろしたり、電気屋の主人が石油の井戸のやぐらの上に無線送信機を取り付けるのを手伝ったりした。ケン・トンプソンのお小遣いは少なかったが、電気屋の主人が部品を安く譲ってくれた。そのおかげでケン・トンプソンは、なんとかラジオや送信機を自力で組み立てることができた。
・自分戦略「UNIXとCを作った男」より
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