まずコントローラに「hello」を追加するという単純なこと。
そしてルートルーティングを追加するという、これまた単純なこと。
こないだ、Railsチュートリアルを始めました。これで3回目です。
1回目は、まだクラウド上での開発環境が用意されていなかったので、けっこういろいろとインストールしなければならず、ちょっとしたヴァージョン違いで動かなかったりと、大変でしたが、その頃はちょうど、LPICレベル1に合格したばかりで、Linux上にあれこれインストールするのがとても楽しかったです。
また、Gitによるヴァージョン管理やそこからHerokuへの本番環境のデプロイなどは、「うわぁ、これがプロの世界なのか!」ととても感動した記憶があります。
2回目は、そのヴァージョン管理にもっぱら気を取られていて、上のコードを見ても、あまり感動はしませんでした。
しかし、3回目の今回は、上のごくごくシンプルなコードを見て、ものすごく感動したのです。
プログラミングにあまり興味がないかたには、あまりにマニアックな話かも知れませんが、プログラマーという生き物がどのように育っていくのかを知るという点では、なかなかおもしろいかも知れませんよ。
2回目のときに、ヴァージョン管理にすごく興味を持って真剣に取り組んだのには、こころの中で、けっこう本気で近いうちプロになって、厳しい世界でも生き抜いてやるという気負いがあったのだと思います。 しかし、実際にはわたしはこうして外資系金融機関というぬるま湯に浸って、ダラダラと生きています。
しかし、プログラミングそのものへの興味はむしろどんどん高まっていき、今では「給料をもっとあげたい」とか「もっとやりがいのある仕事をしたい」とか、そんな願望とはまったく関係なく、コンピュータ君を思いのままに(とはまだ言えませんが、とにかくそんなイメージで)動かしているのが、ただただ楽しいのです。
これまでのところ、JavascriptやPythonを主にイジってきました。
RubyとPythonは兄弟のようで、やっぱりよく似ていますね。最初の「def」というのは、両方とも同じです。
もし、HTMLをベースにコツコツと積み上げていくのは、初心者には分かりやすくて、入り口としてはいいのですが、あまり柔軟にダイナミックには動かせません。 しかし、Ruby on Railsの「Hello, World」という、一番シンプルな形のコードからさえも、「もし、Rubyという言語をしっかり理解しているのであれば、HTMLとは比較にならないほど自由にウェブを操ることができる」ということがすぐに伝わってきたのです。
約半年ほど前くらいまででしょうか。 プロの現場でしっかりやっていけるだけの知識は身につけたい、できれば早く身につけたいという下心から、むしろ「うわぁ、Rubyでのウェブ構築って、今まで見てきたのとぜんぜんちがうなぁ、まだまだ覚えることがたくさんあるのかなぁ」というプレッシャに感じていたのが、今はただ「行けるところまで行けばいいんだ」という気楽な心境なので、そこに広がっている新しい世界にわたしは無邪気にはしゃいでいるというわけです。
上の画像をクリックすると「東京カジノラボ」というサイトに飛びます。 このサイトでは、パスカルとフェルマーを天才と呼んでいますが、うーん、「天才」というのは、わたしにはどうもしっくりこないんですよね。
「天才」というと、凡人はすぐに「うわぁ、めちゃめちゃ頭がいい人なんだぁ」と、或る種の思考停止に陥ってしまうのですが、ただ、ひとつのことにものすごく打ち込む人、とだけ考えたほうがいいような気がします。 男性の中には、そういうタイプの人はけっこういて、でも、経済的あるいは社会的になにかしら恵まれた状況でなければ、「数学」という一見すぐに役に立ちそうでもないことに、それほど時間をかけることはできません。 多くの場合、宗教的な動機に根ざして、そのような「思考」にのめり込んでいくわけです。 たとえば、インドでゼロが発明されたのにも、インド独特の宗教問答の中に、とてつもなく大きな数を考えなければならない思考実験のようなものがあり、山奥の寺で日々瞑想にふけりながら、或る時、ある僧侶がひらめいたわけです。 ニュートンに至っては、かなり「錬金術」にのめり込んでいたようですし、ほど同時代の「ベイズ統計」で知られるベイズもまた宗教家だったのです。 もちろん「パスカルの賭け」で有名なように、パスカルもまた宗教的な動機はかなり強いものがあったのです。
なぜ「天才」という語に、わたしが抵抗を持っているかというと、たいてい一つのことにのめり込むタイプの人間はしばしば他の面では、かなりデタラメであることがほとんどだからです。 頭の良さというのは、そんなに単純なものではなく、「数学」などを大きく発展させるような偉業を成し遂げた人も、ちょっと引いて見れば、いろんなことが偶然重なりあった、いわば「事故」のようなものだったりするのです。
今わたしはたまたま、東京の片隅で、偶然にも時間の余裕に恵まれた生活を送っていて、偶然の流れで、プログラミングという多くの人にとってはひどく難解に見えるものが、面白いゲームのように見えるようになったのです。 もしこのような状況が続けば、もしかするとわたしもそのうち「天才ハッカー」などと呼ばれることもあるかもしれませんが、たまたまそういう流れになったというだけのことなのです。 まあ、いくら言っても凡人には分からないですよね…
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今朝、会社に着いてとりあえず「IE」を立ち上げると、昨日途中まで呼んでいた上のページが開きました。 これを見た時、なんだか朝からすごくわくわくしちゃったんですよね… でもまだ、まともだった頃のわたしの感覚が蘇ってきて、これを見てワクついちゃったらもう相当キテるね、と思うわけで…
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