ロンドン文学紀行

旅行とは、いわば「自分探しの旅」。

いろいろなスタイルがあって楽しいですよね。 今回は「文学の軌跡を辿る」というテーマで興味深い情報をお届けします!

 

人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。

Life isn’t about finding yourself. Life is about creating yourself.

- George Bernard Shaw (バーナード・ショー) -

 


シャーロック・ホームズ

ベーカー・ストリート

 

ホームズが相棒ワトスンと暮らしていた家はベーカー・ストリート221b番地。物語が書かれた時、ベーカー・ストリートは85番地までしかなく、この住所はあくまで架空のものでした。ところが後の時代にベーカー・ストリートが延長され、この住所が生まれてしまったそうです。

 

口コミ情報

「地下鉄ベイカーストリート駅に着いた時からワクワク。もちろんシャーロックホームズで有名な通り。駅の横にはシャーロックホームズの像が立っています。221bには当時の下宿を再現した博物館もあります。駅の反対側にはマダムタッソーもあるので結構賑わっています。」


シャーロック・ホームズ博物館

 

シャーロック・ホームズ博物館は5階建の小さなおうちが博物館になっています。
入口の小さな扉を潜り抜けると、細い階段が現れます。階段には様々な写真が飾られており、その古めかしさがイギリスの歴史を感じさせてくれますよ!ちなみに階段はすこしデコボコしており、こけないように注意が必要かも。
階段を登って2階のお部屋に行くとそこには小さなベッドルームとリビング・ルームがあります。シャーロックの衣服が置かれていたり、ベッドサイドの書籍、小さな暖炉の周りに置かれたアンティークな調度品たちがいい雰囲気を出しています。


シャーロック・ホームズは、クラシック音楽にも造詣が深かったのです。それでいて、武術にも通じているなんて、ヴィクトリア朝時代のクリント・イーストウッドと言ったところでしょうか。

 

彼はチャイコフスキーなんかのヴァイオリンが好きなので、ロンドンを旅したときには、ふらっとコンサートに立ち寄ってみるのもいいですね!

シャーロックホームズパブ

 

口コミ情報

「シャーロックホームズファンには絶対お勧めの素敵な雰囲気のパブです。
ここには、ここにしかない『シャーロックホームズ』という少し苦みのきいた銘柄のビールがありますので是非ご賞味ください。
ホームズの帽子や探偵道具などの小道具が飾られ、2階はホームズの部屋が再現されていて自由に見ることができます。
(但し店より早く23時前に閉まります)パブで英国人に混じってビールを飲みながら、しばしホームズの世界に浸るのも粋なものですよ。」



エルキュール・ポアロ

もしかすると、ホームズほどの知名度はないかもしれないので、簡単にWikipediaから引用いたします。

 

「エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot, ポワロとも日本語表記)は、アガサ・クリスティ作の推理小説に登場する架空の名探偵。ベルギー人。
シャーロック・ホームズなどと同様、時代を越え現在にまで至る支持を得た名探偵の一人。ホームズ以来のそれまでの推理小説の主人公から一線を画した探偵であり、滑稽ともいえるほどの独特の魅力で高い人気を誇る。クリスティが生み出した代表的な探偵と同時に、一般的にも著名な名探偵の一人である。」

 

小説とゆかりのある場所ではないのですが。。。

 

ポアロが住んでいたアパート

地下鉄Barbican(バービカン)駅を左手に歩き、最初の通り(Carthusian St.)を左に曲がると右手にガーデンが見えくる。そのガーデン近くにあるのが、WHITEHAVEN MANSIONS(ホワイトヘイブン・マンション)。WHITEHAVEN MANSIONS(ホワイトヘイブン・マンション)はTVドラマの中の名称で、実際には FLORIN COURT(フローリン・コート)という。
1936年にオープンしたマンションなので現在は古ぼけて見えるが、TVドラマの中では当時最新鋭の設備(エレベーター、セントラル・ヒーティング、キッチンから地下にあるゴミ集積室に直結しているリフト等)を完備したモダンなマンションとして登場する。

 


チャールズ・ディケンズ

チャー ルズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。主に下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を発表した。
新 聞記者を務めるかたわらに発表した作品集『ボズのスケッチ集(Sketches by Boz)』から世にでる。英国の国民作家とも評されていて、1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣には彼の肖像画が描かれている。英 語圏では、彼の本、そして彼によって創造された登場人物が、根強い人気を持って親しまれている。『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイ ヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』などは、忘れ去られることなく現在でも度々映画化されており、英語圏外でもその作品が支持され続 けていることを反映している。

 


ディケンズ博物館

 

英国の国民的な作家と位置づけられているディケンズ。作家が住んでいた家をそのまま展示、日々の暮らしが垣間見える博物館です。2012年には生誕200年を迎えました。

 

ロンドンのブルームズベリー地区、大英博物館から徒歩15分ほどの場所に、イギリスを代表する小説家、チャールズ・ディケンズが過ごした家があります。ヴィクトリア王朝時代に活躍したディケンズの代表作と言えば「二都物語」、「オリバー・ツイスト」に「クリスマス・キャロル」。中でも「オリバー・ツイスト」は、ディケンズの出世作であり、現代においても、舞台化・映画化が絶えない名作。ディケンズは、正にこの家に住んでいた1837年から1839年の間に、「オリバー・ツイスト」を書き上げました。

現在、建物はディケンズ博物館となっており、毎日、世界中からディケンズ作品のファンが訪れます。

 


コーンヒル

 

英国を代表する文豪、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』もまた、そんな不朽の名作の一つ。事実、1843年に初版が発行されてから170年以上を経た今年のクリスマスにも、作品を題材とした舞台が多く予定されている。

昨今、人々は、街に輝くイルミネーションに聖夜の足音を感じるが、この作品は長く、足音の役目を担ってきた。例えばロンドン、ウエストエンドの劇場街。掲示板に貼られたチラシに『クリスマス・キャロル』の文字を見つけたら、「あぁ、今年もクリスマスがやってくるのだ」という風に。

舞台を愛する英国人のこと。掲示板から公演時間をひょいとメモし、颯爽と立ち去る姿を思い浮かべるだけで粋を感じるが、『クリスマス・キャロル』を始め、ロンドンを舞台とした作品を辿れば、今も彼の息吹を感じることができる。


ディケンズ行きつけのパブ

 

ロチェスターの北端のメドウェイ川の橋をロンドン方向に渡り、左折してB260道路をメドウェイ川沿いに上流方向に6.5㌔に行くと、コバムという小さな村がある。ディケンズは、『ピックウィック・ペイパイズ』(1836-37)のなかで、「人間嫌いが住むのに選ぶ場所としては、もっとも美しい」といっているが、今日でも鄙びた雰囲気が漂う村である。
 コバムには有名なオールド・レザー・ボトルというディケンズゆかりの古いパブがある。

 


夏目漱石

夏目漱石の下宿先

 

実は日本人のブルー・プラークがロンドンに一つだけ存在します。その日本人とは、1900年から2年間イギリス留学をしていた夏目漱石。ロンドン中心地ではありませんが、ロンドン南西にあるクラッパム地区に、漱石の下宿先があり、そこにプラークが設置されているのです。漱石は、留学中の日々を「倫敦(ロンドン)に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり」と綴るほど、辛い思いで過ごしました。向かい側の建物には、漱石記念館があるので、漱石の発言の真相を、是非そこで確かめてみて下さい!(開館は2月から9月の水土日のみ)


倫敦塔

 

 二年の留学中ただ一度倫敦塔(ロンドンとう)を見物した事がある。その後、再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断ことわった。一度で得た記憶を二返目(へんめ)に打壊(ぶちこわ)すのは惜しい、三みたび目に拭ぬぐい去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
 行ったのは着後間まもないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固もとより知らん。まるで御殿場(ごてんば)の兎(うさぎ)が急に日本橋の真中(まんなか)へ抛(ほう)り出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家うちに帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕(あさゆう)安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾わが神経の繊維(せんい)もついには鍋なべの中の麩海苔(ふのり)のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。

 

オスカー・ワイルド

オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde、1854年10月16日 - 1900年11月30日)は、アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。
耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

 

芥川龍之介 闇中問答

「或声 牢獄に三年もゐたワイルドを見ろ。ワイルドは「妄みだりに自殺するのは社会に負けるのだ」と言つてゐる。
僕 ワイルドは牢獄にゐた時に何度も自殺を計つてゐる。しかも自殺しなかつたのは唯その方法のなかつたばかりだ。
或声 お前は善悪を蹂躙じうりんしてしまへ。
僕 僕は今後もいやが上にも善人にならうと思つてゐる。」

 

 

 

オスカー・ワイルドの家

『ドリアン・グレイの肖像』『幸福な王子』などで知られる作家、オスカー・ワイルドが、1885年から約11年間暮らした家が34 Tite St.(当時は16番地)にある。現在は内部見学不可。


ジョージ・バーナード・ショー

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)はアイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。
ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカなど英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られている。

 

代表作品[編集]
『ピグマリオン』(Pygmalion)(1913年初演)
ガブリエル・パスカルによって1938年に映画化され、ショーはアカデミー脚色賞を受賞した。また、アラン・J・ラーナーによってミュージカル化され、『マイ・フェア・レディ』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
『聖女ジョウン』(Saint Joan)(1923年初演)
それまで悲劇のヒロインとして描かれてきたジャンヌ・ダルクを、社会と葛藤する一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞した。1957年に映画化されている(監督:オットー・プレミンジャー、脚色:グレアム・グリーン)。

 

 

 

ロンドン郊外の生家